知れば飼う楽しさも倍増!メダカの歴史2017.12.14
知れば飼う楽しさも倍増!メダカの歴史
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小さな体で水の中をスイスイと滑るように泳ぐメダカ。小学生時代、教室に水槽で飼育されていたのを休み時間にご覧になられていた方も多いでしょう。見失いそうなほど小さなメダカですが、調べてみると彼らにも長い歴史があります。
その小さな姿は江戸時代から
メダカという名前の由来ですが、目が頭部の比較的高い位置についていることから名付けられたとされています。漢字では「目高」と書きます。実際、メダカは視力が良く、水面近くで流れて来る餌を見つけ捕食します。
メダカが古くから庶民の間で親しまれていたことは全国各地で様々な名で呼ばれていることからも窺えます。青森県の「アソビジャコ」、福島県の「ザッコ」、千葉県の「アビッコ」など、その数はおよそ4680もあります。日本でメダカが観賞魚として人々の間に広まっていったのは18世紀に入ってからと言われています。
鈴木春信の錦絵「めだかすくい」(1767~68年頃)には網で水面をすくう少女たちの姿が描かれています。石菖鉢という平たい鉢にメダカを泳がせて鑑賞するようになったのもこの頃とされています。また、戯作者の式亭三馬が書いた「浮世風呂」(1809~13年)にも「石菖鉢の目高」という記述が見られます。このように絵や書物に描かれていることでも分かるように、小さくて愛らしいメダカは江戸時代から庶民の日常のなかに、その姿を現していたようです。
観賞魚ではなく研究対象として
小さくて愛らしく手軽に飼育できるメダカでしたが、観賞魚としての人気はすぐに定着したわけではありませんでした。江戸時代中期になって、ライバルともいえる金魚が登場したからです。小さくて水の中をよく見ないと分からないメダカに比べ、金魚は大きくて派手な鱗を持っています。
国内で養殖されるようになると金魚は瞬く間に庶民の間に広まり、浮世絵などにその派手な姿を描かれ、人気の観賞魚となっていきました。一方、観賞魚としての人気は高くありませんでしたが、1823年にドイツの博物学者シーボルトが生物学的にメダカ(ニホンメダカ)を発見し世界に向けて報告したことで、学問の分野ではメダカは大きく注目されることとなりました。
世界には14種類のメダカがいますが、生息しているのは東アジアから東南アジアだけということもあり、シーボルトの報告以降、メダカは生物学や遺伝子学などの分野で研究を行う上で不可欠な存在となりました。けれど、学者ではない庶民の間ではメダカは観賞魚として扱われることは少なく、皮肉なことに大型魚の餌として扱われることで生きながらえていました。
絶滅危惧から人々の中へ
メダカがその歴史の中で再び観賞魚としての人気を博するようになったきっかけは、1999年に絶滅危惧種第II類に指定されたことで人々の関心が高まったためです。農薬の使用、生活排水による環境の悪化、護岸工事などによる流れの緩やかな小川の減少などにより、メダカの数は激減し、現状のままでは近い将来に絶滅する生物として指定されてしまったのです。
このため、かつてたくさんの野生のメダカが生息していた地域を中心に保護活動が盛んになりました。また、近年になって品種改良が進み、ラメのように光るもの、体が透けてみえるものなど地味で目立たなかったメダカにカラフルなバリエーションが増えたこともあり、一般の家庭における飼育ブームも高まっています。江戸時代にその小さな姿を庶民の間に現してから、紆余曲折を経て、ようやくメダカは人々に広く愛される存在になりました。
末長く人々に愛される存在に
誰もが知っている童謡にも歌われているようにメダカは人々にとってとても身近な存在です。澄んだ水の中でしか生きられないメダカ。彼らを保護することは人々が住む環境を保護することにもなります。いつでもメダカたちの姿をそっとのぞけるような環境を。飼育する際には、そんなことも考えてみてください。
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